今回は、岩手県北上市 株式会社 絆Planet (きずな ぷらねっと)
代表取締役・看護師 昆野 寿枝(こんの ひさえ)様です。
(1)看護小規模多機能型居宅介護(複合サービス)※1
(2)訪問看護ステーション
(3)サービス付き高齢者住宅※2
三つの業態を運営をしています。
インタビュー中もひっきりなしにスマホが鳴り、患者・ご家族の対応をしていました。
昆野寿枝社長のお人柄を知り皆さん頼って連絡してきていると感じました。
「お前は無理だ!って言われたの」 開口一番 明るい口調で話し始めました。
質問:看護師を目指したきっかけを教えて下さいませんか?
「お前は無理だ!って言われたの」 開口一番 明るい口調で話し始めました。
「中学時代から話すね」
「中学生の進路相談時、担任へ『教師になりたい』と相談したの」
「お前には無理だって言うんだよ」「ショックだった」
「教師以外に特になりたい職業もなくて、一応 進学校に進んだの」
「友達と一緒に看護専門学校受け、合格したのよ」
「資格があるといいと思ったの」
昆野社長は、インタビュー中、こんな感じで、とても気さくにお話をしてくれます。
以上の内容を整理します。
中学の進路指導時に担任の教師より、「将来なりたい職業」を聞かれました。
私は「教師になりたい」と答えました。
担任の先生は、大所高所から判断して、他の選択をするように促しました。
私には「お前には無理だ」と言うような内容に聞こえました。
思春期の私には「ショック」な内容でした。
私は、「教師」以外に特になりたい職業もなく、高校はとりあえず進学校に進みました。
進学校に進んだものの、学年が上がると、経済的理由で大学進学は難しいと知りました。
高校の友人の中に看護師を目指している人がいました。
高校生の私の頭の中には、漠然と「資格が取れ生涯仕事が出来る職業」がありました。
私は、友人の話を聞き「看護師は一生の資格になり仕事が出来そう」と感じました。
一緒に受験し看護専門学校に合格しました。
岩手県立大学看護学部の前身の看護専門学校でした。
1982年 看護専門学校を卒業。同年 岩手医科大学に入職しました。
5年間勤務しました。放射線科、耳鼻科、眼科、混合病棟のがん患者の看護等を経験しました。
看護師を辞め東京へ出てバックコーラスになろうと思いました。
質問:看護師としてのその後のキャリア形成を教えて下さいませんか?
「バックコーラスしたかったの」
「都会への憧れもあったの」
「歌の学校にも入ったのよ」
「直ぐに無理だって判ったわ」
岩手医科大学の看護師時代にコンサートへ行きました。
バックコーラスが素晴らしく、憧れました。
看護師を辞め東京へ出てバックコーラスになろうと思いました。
私は長女です。
幼い時から「長女は跡継ぎだから」と言われ育てられました。
岩手県を離れるということはハードルが高いことです。
私は、親に「東京でバックコーラスになる」とは言えず
「北上市にも済生会病院があるので東京済生会病院で看護技術を磨き北上(実家から通える病院へ)戻って来たい」と説得しました。
1988年 東京都済生会中央病院へ転職しました。
看護師として勤務しながら、歌の専門学校に入学しました。
入学して発声の練習などをしました。
直ぐに「自分には無理だ」と気づきました。
その後、東京で看護師として2年間勤務しました。
1990年 盛岡に戻り、縁あって開業医の診療所に就職しました。
岩手医科大学時にお世話になった医師でした。
1991年 結婚
1992年 第一子出産 子育ての為、開業医の診療所は退職しました。
とても充実した時間を過ごしました。
質問:訪問看護のキッカケを教えて下さいませんか?
「フットワークいいね!と言われたの」
「いろんなことにチャレンジさせてくれたの」
1993年 北良株式会社(在宅医療サービス・酸素ガスの事業も展開している会社です)入社
在宅医療サービスを展開し、より患者様に信頼して頂けるようにと考え看護師を募集していました。
「いろんなことにチャレンジ」させてくれました。
同社には当時、岩手県立胆沢病院(いさわびょういん 岩手県奥州市)の患者様中心に在宅酸素が必要な患者様が100名ほどいらっしゃいました。
酸素ボンベの補充に行くと、酸素以外に様々なご相談を受けます。
当時の社長、特に専務は、医療知識を持った社員が対応する必要性を感じたのだと思います。
病院の入院とは違い、在宅で過ごす患者様のニーズ(お困りごと)は数多くあります。
その困りごとを解決する為には、柔軟な発想、対応が必要だと感じました。
同時に、大組織のように、何人もの上司の確認をしていては、タイムリーな対応が出来ないと思いました。
どちらかというと、私自身大きな組織よりも、「小回りが利き」「フットワーク良く動ける組織」が性に合っていました。
とても充実した時間を過ごしました。
次第に在宅で過す患者様やご家族様に寄り添った看護をしたいと思うようになりました。
そんな折、株式会社でも訪問看護ステーション運営が可能なこと知り、同社としてチャレンジすることになりました。
1999年 北良株式会社において「訪問看護ステーション北良」の立ち上げに参画しました。
その後、介護保険がスタートし、更に訪問介護と居宅介護支援の事業者の開設を行って在宅医療部の1分野を展開しました。
看多機(通称 かんたき)で「まるっと」出来るのよ
質問 起業の経緯を教えて下さいませんか?
次第に、より社会貢献したいと思うようになりNPO法人を立ち上げを考え始めました。
2010年 同社を退社し、NPO法人を立ち上げました。
現在の株式会社 絆Planetの前身となります。
2012年 株式会社絆Planet 設立 代表取締役 就任
2013年 サービス付き高齢者向け住宅 運営開始
2018年 きずなの森(看護小規模多機能型居宅介護)開設。略称「かんたき 看多機」
看多機(通称 かんたき)で出来ることは3点あります。
ここで昆野社長の看護学校向けの講演レジュメに沿いながら、看護師としての活躍の場や在宅サービス、看多機についてご紹介したいと思います。
看多機(通称 かんたき)で「まるっと」出来るのよ
1点目は一体的なサービス提供です。
患者・利用者様とご家族は自宅に居ながら「通い」「泊り」「訪問(看護・介護)」ニーズに応じて一体的に提供することが出来ます。
24時間365日、本当に多様なサービス提供をしながら、患者・利用者様の暮らしを支えます。
2点目は、個々の患者・利用者に応じた「オーダーメイド」のサービス提供をすることが出来ます。
看多機(通称 かんたき)に配置されているケアマネジャーが「通い」「泊り」「訪問(看護・介護)」を一元的に管理する為、個々のニーズに合わせ「柔軟に組み合わせること」が出来ます。
特に、高齢になると予期せぬ体調や病状の変化が出てきます。
それに柔軟に対応することが可能です。
3点目は、医療ニーズの高い人にも対応します。
看多機には、看護スタッフが常勤で配置されており、主治医と連携しながら医療に必要な利用者にも対応することが出来ます。
特に退院直後から密に関わり、
在宅で過ごす上での療養環境の整備
家族への医療機器取り扱いのサポート
介護スタッフと連携調整を行うことが出来ます。
在宅での生活が落ち着いて(安定)してきましたら、定期的な訪問看護、訪問介護、通い、泊りへ移り、患者・利用者様が望む在宅療養支援を行います。
「看取り」にも対応します。
以上を踏まえて看多機(略称 かんたき)の魅力とは、全て「まるっと」出来ることです。
これまでの医療・介護サービスは、「単発」でした。
例えは、退院後、まだまだ入院前のような日常生活が送れない中で
訪問看護に来てもらう
訪問介護に来てもらう
デイサービスへ通う
ショートステイを利用する
ケアプランを作成するケアマネも大変ですが、各々の契約、初回サービスのバラツキ等あります。
縦割りなサービス利用について患者様やご家族様から不満をお聞きすることも多いです。
その点、看多機(通称 かんたき)は、看護師を中心に安定したサービス提供が可能です。
看多機(通称 かんたき)に、「通い」「泊り」に来ても、他の利用者様も「いつもの人」「昔から知っている地域の人」「顔なじみ」が多く安心して過ごすことが出来ます。
看護師が活躍する場として
病院
診療所
老人保健施設・福祉施設
訪問看護ステーション
保育所
県や市の健康管理センター
企業や民間の健康相談や健康管理センター
看護学校などの教育機関
等々があります。
看護師としてのキャリア形成や、ライフプランに応じて活躍して欲しいと思います。
そのような中で、訪問看護ステーションや看護小規模多機能型居宅介護も選択肢の中にあると思います。
「うちはね ケアマネの家族も多いの」
利用者の中には、ケアマネジャーのご家族の方が多いそうです。
(木村 感想)
仕事柄、ケアマネジャーは、各施設・事業所のサービスを広く知っています。
同時にサービスの内容も詳しいです。
そのような人たちが、自分の家族をお願いするわけですから、本当にサービスの良さを知ってお願いして来るのだと思います。
「地域密着型施設」として地域に根を張った活動をしていきたいと思います。
質問 事業所の概要を教えて下さいませんか?
事業所名:きずなの森(訪問看護ステーションと併設)
事業所の概要:登録定員25名 通い7名 泊り7名(2023年11月現在)
管理者1名(兼務) ケアマネジャー1名(兼務)
看護師常勤 2名 非常勤7名(うち准看護師1名)
作業療法士常勤1名
介護職常勤 10名(介護福祉士8名 初任者研修2名)
介護職非常勤 4名(初任者研修4名)
介護職のうち喀痰(かくたん)吸引等の研修修了者 7名
関連施設:サービス付き高齢者向け住宅
規模の拡大よりも、「地域密着型施設」として地域に根を張った活動をしていきたいと思います。
やりがいのある仕事だと感じています。
質問 ハートケアステーション絆(訪問看護ステーション)の特徴を教えて下さいませんか?
ハートケアステーション絆は、訪問看護ステーション事業を行っています。
私とNPO法人立ち上げメンバーが、在宅酸素の会社に在籍していたこともあり、酸素や人工呼吸の患者様が多かったです。
そのような関係から呼吸器外科の医師からの「指示」で対応することも多かったと思います。
それが特徴だと思います。
わが法人・グループの「フットワークの良さ」や現在の看多機(かんたき)「まるっと」サービスに繋がっていると思います。
在宅中心に400名近い患者様の最後に立ち会うことが出来ました。
地方ではご自宅でお見送りしたいというご家族の希望も多く、その希望を叶えるお手伝いをしてきました。
やりがいのある仕事だと感じています。
うちは、みんな助け合い、カバーして仕事をしています。
質問 人材育成について教えて下さいませんか?
「子育て世代は仕事出来る時間に働いてくれればいいの」
「お互いの個性・役割で能力発揮して欲しいの」
「小児訪問看護も対応しているの」
スタッフには、「お母さん」も多く「小児訪問看護」も対応しています。
単に、訪問看護だけでなく、子育てについてもお話を聞き相談にのっています。
特にリハスタッフは、「小児手技」が素晴らしくプラス子育ての様々な相談相手になっています。
一方、子育て世代のスタッフは、お子さんが急に熱を出し、お休みを取ることも多いです。
うちは、みんな助け合い、カバーして仕事をしています。
「子育てが終わったら、常勤やフルタイムで働いてね」と言ってます。
「特に役職は付けていません」
フラットな組織で、それぞれの個性を活かした働き方をしてもらってます。
そんな、職場環境をつくるのが経営者としての仕事だと思っています。
2022年6月から離職者「ゼロ」です。
実を言うと、自分が子育て中には、育児は主人に任せ看護師の仕事をしていました。
その時の反省と、現在のスタッフの見本になるようにと、お休みをとって家族旅行を定期的にしています。
北海道が多いです。
特に岩手県花巻空港から北海道はひと飛びです。
車や電車移動ですと夜間でも戻って来なければなりませんが、北海道はそうはいきません。
スタッフに仕事を任せる、責任を持って仕事をさせる為にも必要なことだと思ってます。
今、主人も次男も一緒に働いています。
主人は、調理の腕を活かし、サ高住※2の厨房で働いています。
女房「かんたき 看多機」 亭主「めしたき 飯炊き」と笑ってます。
本当に子育て中は、主人が作って子供に食事を食べさせていました。
私が子育て中の時代よりも看護師の活躍の場が増えました。
訪問看護ステーションや看護所規模多機能型居宅介護も選択肢の一つとして考えて貰えばと思います。
地域の患者・利用者様のニーズに柔軟に対応出来て(=スキルが必用)、自分自身のライフスタイルにも対応可能な職場ではないかと思っています。
いま私は、中学校の担任の進路指導に感謝しています。
本日はご多用の中ありがとうございました。
※1厚生労働省HP 看護小規模多機能型居宅介護 説明↓↓↓↓ 略称:かんたき 看多機
※2国土交通省HP サービス付き高齢者住宅 説明↓↓↓↓ 略称:さこうじゅう サ高住
法人紹介
株式会社絆Planet(きずなぷらねっと)↓↓↓↓↓
看護小規模多機能型居宅介護 きずなの森↓↓↓↓↓
ハートケアステーション絆(きずな)↓↓↓↓↓
ひだまりハウス暖暖(だんだん)↓↓↓↓↓
執筆:株式会社オンリーワン経営 代表取締役 木村淳【企業経営コンサルタント】【医療コンサルタント】
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引用:消費者庁 インターネット広告におけるガイドライン等の取り組みとステルスマーケティング対策に関する考え方について