【取材記事】今回は、公益財団法人仙台市医療センター 仙台オープン病院 院長 土屋 誉(つちや たかし)様にお話をお聞きしました。
![株式会社オンリーワン経営 木村淳撮影](https://onlyone-mgt.jp/wp-content/uploads/2023/03/IMG_7328-1024x849.jpeg)
公益財団法人仙台市医療センター 仙台オープン病院 院長 土屋誉先生 撮影木村淳
父は教師でした。その父を見て兄も教師を目指していました。
私は、「教師」というよりも「体の仕組み」について興味がありました。
体の仕組みを知るうちに、「病気を治すとみんなに喜ばれるんだ」と思ったのです。
次第に私は「病気を治しみんなに喜ばれる医者になる」「絶対に医者になるぞ!」と強い思いに変わりました。
私は、長野県立科町生まれです。上田高校から東北大学へ進みました。
上田高校は、東北大学へ進学する先輩が多く、私も先輩と同じ道を歩みました。
![土屋誉 様](https://onlyone-mgt.jp/wp-content/uploads/2023/03/R0010650-1024x768.jpg)
長野県上田高等学校 正門 (公益財団法人仙台市医療センター 仙台オープン病院 院長土屋誉先生提供)
ここで土屋家のルーツをお話ししたいと思います。
みなさんご承知のように長野県は、武田信玄(1521~1573年)ゆかりの地です。
私の祖先は、武田信玄の二十四将 土屋昌続(つちや まさつぐ 1544~1575年)です。
いわゆる武田信玄の「常勝無敵・甲州軍団」として支えました。
武田信玄は、「常勝無敵・甲州軍団」の組織を使い領地を7倍に増やしたとも言われています。
1573年(元亀4年)土屋昌続(まさつぐ)は、武田信玄が徳川と戦った「三方ヶ原の戦い」で多大の戦功をあげました。
信玄没後、家督を継いだ武田勝頼(たけだ かつより1546~1582年)を支えました。
1575年(天正3年)土屋昌続(まさつぐ)は、武田勝頼とともに長篠の戦いに挑みました。
長篠の戦は、織田信長が馬防柵と火縄銃を使った歴史的に重要な戦いでした。
この戦いによって織田信長は「天下人」になりました。
土屋昌続(まさつぐ)の弟 土屋昌恒(つちや まさつね 1556~1582年)は、「片手千人斬り」で有名です。
土屋兄弟は、まさに命をかけて武田勝頼を支えた「忠臣の中の忠臣」と伝えられています。
土屋昌続(まさつぐ)の子「平三郎(生没不明 戦国時代ですので)」は、駿河清水の臨済宗 清見寺(せいけんじ)に身を寄せました。
後に徳川家康に対面したと言われています。対面した徳川家康は「忠臣の子は忠臣」と考え「平三郎」を取り立てました。
土屋家は江戸幕府において重要な役割を果たしたと伝えられています。
実家は旧中山道芦田宿(なかせんどう あしだじゅく)本陣です。
芦田宿・本陣土屋家は、問屋もかね芦田宿の開祖でもあります。
本陣御殿(客室)は、寛政十二年(1800年)に再建されました。
イチイの木をつかった京風上段の間があります。
大名が宿泊した「宿札」もあります。
中山道の往時を伝える唯一の建物といわれています。
北陸新幹線で軽井沢・佐久平・上田方面にお越しの際には是非お立ち寄り下さい。
(立科町教育委員会資料参照)
高校3年間と大学2年間は、弓道部でした。
「日本にかくれなき弓取 武田勝頼」の影響を少なからず受けたのではないかと思います。
![土屋誉](https://onlyone-mgt.jp/wp-content/uploads/2023/03/RIMG0256-1024x768.jpg)
武田信玄公 御前会議 土屋昌継続 掛け軸 (公益財団法人仙台市医療センター 仙台オープン病院 院長土屋誉先生提供)
仙台は素敵な街でした。当時は路面電車も走っていました。
1979年医師として歩み始めました。専門は、消化器外科です。
1981年東北大学 第一外科入局しました。
1986年医学博士を取得しました。
1992年アメリカ テキサス大学においてビジティングインストラクターとして消化管ホルモンの研究をしました。
1993年ルイジアナ州立大学生理学では消化管からの脂肪吸収の研究をしました。
ポスドク(Postdoctoral Researcher、Postdoctoral Fellow、Postdoc)として研究に明け暮れた日々でした。
1994年東北大学に戻り、第一外科講師につきました。
1995年 医局人事で宮城県 町立大河原病院(2023年現在は、みやぎ県南中核病院)に勤務しました。
1997年仙台オープン病院外科に勤務しました。
2007年より東北大学医学部臨床教授として医学部生の教育に従事しました。
2015年仙台オープン病院院長に就任しました。
正式にカウントしたことはありませんが、これまで消化器外科において、6000名以上の患者様のオペに立ち合いました。
特に手術を通じて患者様・ご家族によりそうことが重要だと考えています。
一般の方は、TVドラマ等の影響で、医師といいますとスーパードクターのイメージが強いと思います。
スーパードクターに執刀してもらう病気やけがは1%以下です。
外科医から見ると一般の方が受ける手術は90%以上が「普通の手術」「当たり前の手術」です。
患者様自体がかかる病気の確率からしても多くの方(90%以上)がかかる病気であり、手術を通して回復することが可能です。
だからこそ「普通の手術」「当たり前の手術」により、術後の回復、社会活動復帰まで含め対応することが重要だと考えています。本当に多くの方に喜んで頂けます。
そのようなことから手術はテクニックよりも、どのように治療していくが大切です。
医療界において、難病の治療に立ち向かうスーパードクターも必要です。
一方、一般の方が多くかかる病気の「普通の手術」「当たり前の手術」も重要です。
これが出来る医師が多ければ多いほど、多くの方が多少の病気でも早期に回復され日常生活や社会活動をすることが可能です。
一般の方にも分かり易い表現をすると、医師が一般におこなう術式で患者数も圧倒的の多い手術を、
1)だれよりも上手に
2)だれより早く終わらせ
3)出血は最小限に
4)術後の合併症はなく
5)一日も早く退院させる
ことを目指しています。
以上のことを私なりの言葉で一流のスーパードクターに対し「二流の医師を目指す」と表現しています。
小学生の時の夢「病気を治すとみんなに喜ばれる」が実現出来ていると思います。
![株式会社オンリーワン経営 木村淳撮影](https://onlyone-mgt.jp/wp-content/uploads/2023/03/IMG_7330-1024x810.jpeg)
公益財団法人仙台市医療センター 仙台オープン病院 院長 土屋誉先生 撮影木村淳
手術前後の管理を周術期管理といいますが、周術期管理も手術と同様に非常に重要です。
周術期管理では栄養が非常に有用であることがわかってきました。
具体的にはなるべく手術前後で消化管を使わない期間を少なくすることの重要性が認識されてきました。
それを推進するのが栄養サポートチーム(NST Nutrition Support Team)で日本における病院内でのチーム医療の先駆けになりました。
歴史をお話しすると1968年に米国で中心静脈栄養(TPN)が開発されました。
更に研究が進み、その適応と安全管理の実施を目的として「栄養サポートチーム:NST」が誕生しました。
分かりやすい事例でお話しします。
手術後「点滴だけで何日間も過ごすこと」をご存じと思います。
その後の研究で、できるだけ早期に「消化管」を使うことが手術後の回復には重要であると明らかになりました。
近年の腹腔鏡やロボットを使用した手術は手術侵襲を軽減する効果をもたらしましたが、栄養管理でも手術侵襲の軽減が図られることがわかってきたと言えます。
加えて私は長年アミノ酸の研究を続けてきましシスチンとテアニンというアミノ酸ですが経口摂取することにより手術の侵襲軽減効果や抗癌剤の副作用防止効果などを見出しています。今後もさらなる臨床応用に向けてデータの集積中です。
また、私は「亜鉛」の研究も行っています。
亜鉛は生命維持に非常に重要な微量元素でありますが、近年特に高齢者の亜鉛不足が問題視されてきました。
地域住民や高齢者施設で血清の亜鉛濃度を測定しましたが、社会活動の豊富な住民の血清亜鉛値はそうでない高齢者に比べて高く、施設入所者は更に低く、経口摂取でできずに胃瘻を使っている高齢者は最も低い値でした。
つまり、血清亜鉛値は社会的、身体的活動性を反映しているといえます。
以上の研究結果から、高齢者の方で、血清亜鉛値の低い場合には亜鉛含有の多い食物摂取やサプリメントや薬での補充を勧めています。
高齢化が進む日本において、健康寿命の伸延にも貢献できるものと考えています。
話は変わりますが、最近の医療は昔では思いもよらなかったことが起こっていまして、そのひとつに薬でしか治らなかった糖尿病や高脂血症が手術によって改善され、薬が不要になることがわかってきました。
糖尿病薬として使われているGLP-1製剤というものがありますが、肥満の術後に糖尿病が軽快することがあるのは自分の小腸から大量のGLP-1が分泌されるようになるためです。
40年前、私の大学時代の研究テーマは消化管ホルモンでしたが、GLP-1を含む腸管グルカゴンを大量に分泌させる術式を考案しました(ileal transpositionという術式)。
実際に犬の実験で10倍以上の腸管グルカゴンが分泌されていることを確かめています。
この術式は高コレステロール症にも効果があることも偶然に発見しました。
まさかGLP-1製剤が糖尿病の治療に使用され、また手術で糖尿病を治す時代が来るとは想像していませんでしたが、手術でホルモン環境を変えて病気を治療するというコンセプトは今ではmetabolic surgeryと呼ばれていますが私が当時目指していたものと一致するものでした。
![株式会社オンリーワン経営 木村淳撮影](https://onlyone-mgt.jp/wp-content/uploads/2023/03/IMG_7334-1024x925.jpeg)
公益財団法人仙台市医療センター 仙台オープン病院 院長 土屋誉先生 撮影木村淳
「栄養サポートチーム:NST」の話に戻りますが、仙台オープン病院でも2000年にチームをスタートさせました。このエリアでは一番初めだと思います。
仙台市の救急搬送の件数は約5万件/年。
仙台オープン病院では、このうち約3500台/年(救急車の搬送件数)に対応しています。
仙台オープン病院は、「おなか」の外科手術の件数は、一番です。
シェアでいいますと、5~10%です。
そういった意味で、東北大学旧 第一外科系(肝・胆・膵臓外科、胃腸外科)の病院の中では一番の件数をこなしています。
2023年45周年を迎えた地域医療支援病院です。
![株式会社オンリーワン経営 木村淳撮影](https://onlyone-mgt.jp/wp-content/uploads/2023/03/IMG_7317-1024x768.jpeg)
公益財団法人仙台市医療センター 仙台オープン病院
名前の由来となった「オープン」についてお話しします。
医療業界における「オープンシステム」から順を追ってお話しします。
オープン病院の名前の通り地域の主治医を支援する為、高額なMRIやCTを解放する「オープンシステム」(医師会メンバー利用できる)を導入しました。
関係する医師の方々に「オープン=解放、開かれた」と言う意味です。
仙台市内中心に600名以上の先生にご協力を頂きオープン病院の登録医として活躍して頂いております。
最近の厚生労働省 特別料金 制度内容より抜粋して制度を説明します。
(令和4年:2022年10月1日より )以下制度説明資料PDF抜粋
1976年(昭和51年)、医師会中心のオープン病院とは、今の厚生労働省の制度に通じる素晴らしいコンセプトでスタートしました。
救急患の場合を除いては原則紹介状なしでは受け付けないことを運営方針とし、今で言う病診連携を重視したのでした。
つまりまずはかかりつけ医に受診し、必要であれば当院へ紹介したいただくシステムです。
平成10年には地域医療支援病院という制度ができましたが、その認定要件のひとつに患者の紹介率が80%以上という項目がありましたが、その当時は大学病院でさえアクセスフリーでしたので、それをクリアできる病院はほとんど無かったのですが、当院ではで設立当時から100%でしたので、全国第一号の認定を受けることができました。
いかに当院のシステムが先進的であったかがわかると思います。
やっと時代が追いついてきたのです。
病院の名前の“オープン”の由来は医師会員に対してオープンであるということです。
病院の設備を使って診断したり、場合によっては患者さんの主治医になって手術を行うこともあります。
私が赴任した平成9年頃には婦人科の開業の先生が子宮筋腫の手術を院内で行っていました。
最近では開業医が病院に来て主治医となって手術をすることはなくなりました。
最近では共同利用施設としてCTやMRIの検査依頼などを受けています。
検査や受診依頼での簡便化を図るために行っているのが「病診連携OpenNet」です。
「オープンネットは、登録医の先生方と仙台オープン病院をITネットワークで結び、診療所から曜日・時間に関係なくいつでも診療予約・検査予約を取ることができます。」 (仙台オープン病院HP参照)
![株式会社オンリーワン経営 木村淳 撮影](https://onlyone-mgt.jp/wp-content/uploads/2023/03/IMG_7320-1024x768.jpeg)
公益財団法人仙台市医療センター 仙台オープン病院
- 「栄養サポートチーム:NST」を筆頭に
- 褥瘡対策委員会
- BLS講習会
- ICT(感染対策チーム)
- DMAT活動
- 口腔ケアチーム
- がん治療緩和ケアチーム
- 摂食・嚥下リハビリテーションチーム
- 認知症ケアチーム
医療のニーズに対応して今後も進化する組織を作っていきます。
1968年(昭和43年)5月仙台市より鶴ケ谷団地医療配備計画諮問からスタートしました。
多くの方のご尽力により1976年(昭和51年1月)「鶴ケ谷オープン病院」として開院致しました。
1986年(昭和61年)仙台オープン病院へ名称を変更しました。
1989年(平成元年)救急センター365日・完全24時間体制を開始しました。
同年 日本医師会より日本医師会最高優功賞を頂きました。
1998年(平成10年)地域医療支援病院 全国で第一号承認を得ました。
先にご紹介しました通り、私は前年の1997年から外科医として勤務しました。
2011年(平成23年)公益財団法人へ移行しました。
2018年(平成30年)新救急センター棟を竣工しました。
同年40周年を迎えました。
2028年50周年に向け「更に良い医療を提供できる病院づくり」に取り組んでいきます。
![株式会社オンリーワン経営 木村淳 撮影](https://onlyone-mgt.jp/wp-content/uploads/2023/03/IMG_7339-1024x793.jpeg)
公益財団法人仙台市医療センター 仙台オープン病院 院長 土屋誉先生 撮影木村淳
仙台での開催は昭和36年の第11回大会(東北大学島内武史教授)以来62年ぶりです。
日本病院会は昭和26年に厚生労働省の指導で発足し、
現在では日本病院会の会員数約2500病院/全国約8000病院=31%強
日本病院会の病床数66万床/全国の病床数150万床=44%となっています。
主な病院の団体には四病院団体協議会があり、日本病院会、全日本病院協会、日本医療法人協会、日本精神科病院協会で構成されています。
病院経営を取り巻く課題は
2025年には人口構成上 団塊の世代の方が後期高齢者になります。
加齢とともに病気のリスクが高くなります。
この方々に対する、質と量を確保することが課題です。
一方、医師をはじめ、医療スタッフの働き方改革が求められています。
優秀な人材を確保する為には、働き方改革が必須となってきています。
東日本大震災や今回の感染症にような様々な変化への対応も必要です。
今回の学会のメインテーマは 『動的平衡・スクラップアンドビルド-その先にある病院のカタチ-』 です。
動的均衡とは生物学者の福岡伸一氏の言葉を引用したものです。
福岡先生は「生物は常に自己破壊と創造を繰り返し、動的平衡を保っている」と提唱しました。
病院や医療関係者も、地域や患者様の為に「変化しつづけなければいけない」と感じています。
全国の医師、医療関係者と研鑽したいと考えています。
今回演台分類に「電子カルテ」を加えました。電子カルテのメリットは沢山あります。
一方で各病院により、システム(メーカーや仕様)がバラバラです。
病院経営上投資負担も大きいです。
この問題を全国の医師・医療スタッフへ提起し、解決の糸口を探りたいと思います。
電子カルテに入力(INPUTデータ)は各々の検査機器や医療機器からの変換作業も必要です。
全てコストになって跳ね返ってきます。
高度な医療機器は校正やサイバー攻撃に対するセキュリティー対策も必要です。
複数の高度医療機器・専門機器を扱うため、複数のシステム会社と契約しているケースが多いと思います。
各システム会社間の連携部分の弱点が狙われやすいと言われています。
被害にあった病院の事例では、患者受け入れや手術が出来ないことによる被害額が数十億円から100億円をこえるという試算もあるそうです。
セキュリティー対策費もコストになって跳ね返ってきます。
第73回日本病院学会を担当にするにあたり、提言をしていきたいと考えております。
折角の機会です。東日本大震災からの復興の姿や宮城・仙台の魅力も感じてお帰り頂きたいと思います。
50周年、その先の100周年に向け、当院の理念でもある
『思いやりのある心で信頼される優れた医療を提供します』
を体現し、磨きをかけ、地域の皆さんに満足していただけるような病院づくりを行っていきます。
![株式会社オンリーワン経営 木村淳 撮影](https://onlyone-mgt.jp/wp-content/uploads/2023/03/IMG_7323-1024x787.jpeg)
公益財団法人仙台市医療センター 仙台オープン病院 院長 土屋誉先生 撮影木村淳
【御礼木村】土屋院長、お忙しいところ本日はありがとうございました。
【編集後記】
土屋院長には、お忙しいところ2回に渡りお時間を頂きました。
また、ご実家の「武田信玄の御前会議に参加の土屋昌継」の掛け軸や上田高校の正門の写真まで提供頂きました。
歴史の話から医療現場の話まで多岐にわたりご教示頂きました。
医学の専門領域について、直接 筆を加えて頂きました。
本当にありがとうございました。
参考
仙台オープン病院ホームページ https://www.openhp.or.jp/top.php
第73回日本病院学会ホームページ https://www.c-linkage.co.jp/jha2023/welcome.html
厚生労働省ホームページ https://www.mhlw.go.jp/index.html
信州たてしな観光協会 https://shirakabakogen.jp/
立科町ホームページ http://www.town.tateshina.nagano.jp/
甲府市ホームページ https://www.city.kofu.yamanashi.jp/index.html
上田市ホームページ https://www.city.ueda.nagano.jp/life/3/
長野県ホームページ https://www.pref.nagano.lg.jp/index.html
武田信玄、武田勝頼の映像は、以下のサイトから楽しむことができます。
東京都立図書館 TOKYOアーカイブ
執筆:株式会社オンリーワン経営 代表取締役 木村淳【企業経営コンサルタント】【医療コンサルタント】
取材記事 Local medical media
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引用:消費者庁 インターネット広告におけるガイドライン等の取り組みとステルスマーケティング対策に関する考え方について
【質問木村】初めに、土屋先生が医師を目指したキッカケをお聞かせ下さい。